文集「読書のよろこび」第42号
〜平成18年度読書感想文コンクール入賞作品<3>〜
( )内は、第53回青少年読書感想文全道コンクール特別賞受賞作品
2006年11月23日発行
※順次、作品を載せていきます。
小学校低学年の部 ともしび賞
「あかちゃんてね」をよんで
                                  市渡小1年 磯江 歩子
 わたしのおともだちに、ゆうきくんというあかちゃんがいます。ゆうきくんのおかあさんやわたしが、ゆうきくんのめをみてわらうと、ゆうきくんもわらいます。ゆうきくんがわらうと、みんなもわらいます。そんなとき、わたしはうれしくて、ふしぎなきもちになります。わくわくしてきます。

 このほんのあかちゃんはれいちゃんです。れいちゃんもにこにこしています。

 れいちゃんのおへそには、へそのおがくっついています。おかあさんが、へそのおは、おかあさんのおなかのなかの「しきゅう」というおへやとつながっていた、とおしえてくれました。わたしにもおへそがあります。わたしはおかあさんのくちとつながっていたとおもっていたので、びっくりしました。でも、おかあさんとつながっていたのでうれしかったです。

 れいちゃんがねつをだしました。とてもかわいそうでした。

 わたしもあかちゃんのとき、ねつをだしたとおかあさんがいっていました。わたしはきかんぼうなあかちゃんだったのに、てとあしをうごかさなくなったから、とてもしんぱいなきもちになった、とおしえてくれました。

 いまはおおきくなったから、あまりねつをだしません。でも、けがをたくさんするようになりました。おかあさんは、「あゆこはけがばっかりしているけど、げんきがいちばん。えがおがいちばん。」といいました。わたしは、「やっぱりそういうとおもった。」といってわらいました。なんだかうれしいきぶんでした。れいちゃんもわたしみたいに、げんきにそだってほしいです。

 わたしはこのほんがすきです。みるだけでうれしくなるからです。おかあさんもこのほんをみるとにこにこします。だから、おかあさんもこのほんがすきだとおもいます。
 
小学校中学年の部 ともしび賞
勇気をささえる力になるもの
                                  大中山小3年 中島  澪
 マイナス四十度の氷の世界、北極圏。北海道にすむわたしにとって雪の季節、冬というのは、想ぞうできますが、陸も海も氷に閉ざされるなんて、どんなところなんだろうと思いました。夏は一日中太陽がしずまない「白夜」、冬は、太陽がのぼらない「極夜」が何日も続くそうです。そんなきびしい北極圏を、ぼうけんした植村直己さんとエスキモー犬達の物語は、おどろくことがいっぱいでした。

 そりで走っていた氷がわれて、海に落ちてしまったり、おなかをすかせたホッキョクグマにおそわれそうになったりと、とてもきけんな旅でした。そのおそいかかるこんなんをあきらめずに1万2千キロも旅をした植村さんは、とても勇気のある人だなと思いました。わたしは、やる前から「どうせできない」と思ってしまうことがあります。とくに、苦手なことの時は、失敗したことばかりを考えてなかなか始めの一歩がふみだせないでいます。ちょっといやなことがあると、途中でやめてしまうこともあります。植村さんのように、ゴールを目指す気持ちをもって、勇気のある大人になれるようにがんばりたいと思いました。

 そして、その植村さんの勇気のある気持ちをささえて、守ったのは、エスキモー犬達でした。とくに、シーダー犬のアンナは、途中でにげてしまった犬達をつれもどしたり、海水に落ちた犬達を助けるのをあきらめかけた植村さんをはげますように鳴いたりと、とても活やくしていました。そんなアンナも、はじめから、植村さんの言うことをきいていたわけではありません。楽しいことや、苦しい思いやり、信らいする心が生まれたのだと思いました。そして、1万2千キロもの長いぼうけんの旅を、成功させたのは、ゴールに向かう心が一つだったからだと思います。

 わたしのおばあちゃんの家でも、犬をかっています。モモというグレートピレニーズの12才の老犬です。わたしが、おばあちゃんの家で勉強している時、モモは、そばで見ていてくれます。わたしに、「がんばって」と言ってくれているみたいです。その他にも、わたしのことを温かい目でおうえんしてくれています。

 これからの生活で、わたしには、もっとがんばらなくてはいけない事がたくさん出てくると思います。つらくて悲しい事もたくさんあると思います。そんな時、アンナが植村さんをささえたように、モモがわたしをいつでもささえてくれていると思うと、何でもがんばってみようと思います。

 そして、わたしも、モモが長生きできるささえになりたいと、心から思っています。
小学校高学年の部 ともしび賞
「紅玉」を読んで
                                  沖川小6年 本間 勝稀
 この本は、「紅玉」というりんごを育てている作者のお父さんについて書かれた本で、千九百四十五年、太平洋戦争が終わった年のお話です。作者のお父さんが作ったりんごがわんさかと、実りました。作者のお父さんは、戦争からかえってきてから、このりんごを毎日ながめて、収穫の日をとても楽しみにしていました。この時お父さんは、はやく家族や村中の人たちとりんごを収穫したいな、と思っているんじゃないかとぼくは、そう思いました。

 しかし!数十人もの群衆が、手あたりしだいにりんごをもぎとってさわいでいました。

 その人たちは、日本人ではなく、川向こうの炭鉱で働かされていた、朝鮮と中国の人びとの群れでした。ぼくは、なぜ、この人たちは、人のものをとって食べているのかふしぎでなりませんでした。だけど、むりやり外国からつれてきて働かせられた人たちも、かわいそうだなと思いました。

 作者のお父さんは、戦争が終わる前、朝鮮や中国大陸に連れて行かれた事があります。その時に、日本の軍隊が、ぶたも牛も馬も、そして、あらゆる作物をうばいとるのを見たそうです。そこでぼくは、りんごどこりかいろいろな食べものをとっていくところを見れば、日本人もわるいな、と思いました。

 それから、作者のお父さんは、(りんごくらい、なんだ)とわかっているのにその人たちをとめにいきました。お父さん朝鮮語はわからなかったけど中国語は、わかったから中国語で話をしました。お父さんは、必死でカタコトの中国語をしゃべりましたが、通じているかは、わかりませんでした。お父さんは、中国人の男の目を真っすぐ見つめて話しつづけ、体ががっしりしたいかにもみんなのリーダーといった男の人が、「ミンパイ。(わかるさ)」と答えてくれた。お父さんは、わかったのかと息をのみました。その時ぼくは、中国人や朝鮮の人たちは、ひどいことをされたのに、お父さんがこのりんごを家族のために作っていると言ったらとるのをあきらめてくれたのでやさしい心をもっているなと思いました。

 ところが、お父さんがすべてのりんごをかえしてほしいと言ったのではないのに、朝鮮や中国の人たちは、すべてのりんごをおいていきました。ぼくは、この人たちは何も食べていないから、ここにぼくがいたらこの人たちにそのりんごをあげていたなと思いました。またお父さんも本当は、あげたかったんだけど、声にだせなかったんだと、思いました。

 お父さんは、炭鉱で働かされた人たちが事情を話したら、りんごをとるのをやめてくれたと言う事を毎年語りつづけました。それも、これらのt朝鮮や中国の人たちのやさしさに感動したからだと思いました。

 ぼくは、この本を読んで、いじめられてもやさしい心を忘れない事を知りました。
中学校の部 毎日新聞社賞
「海からのメッセージ」を読んで
                                  森中3年 山田 ひかる
   不安な雲がたちこめる
   どれほどの死がおそったのか
   きょうはアザラシだけど
   明日はいったいだれ
   人間のおろかな行為に苦しむのは
   人間のおろかな行為に苦しむのは

   海の仲間は
   あなたの嘆きをきいたとき
   わかりあえない人の多さを知りました
   だから戦いをいどみます
   あなたのために
   善意の人びとと
   そう、海の仲間を愛する人びとと

 これは作者が作った二つの曲の歌詞です。音楽家でもある作者、フィオナは、スコットランドの小さな島に住んでいます。海辺でバイオリンをひき、歌をうたって、アザラシたちにきかせていました。けれど、そんなおだやかな日々は、アザラシたちがおそろしい病気におそわれたことで大きくかわっていきました。

 今現在、地球温暖化や環境汚染などが世界で大きな問題になっています。全ての原因が人間の行為にあります。この物語の中でも海にゴミが捨てられ、アザラシなどの動物たちの生命をおびやかしている事が書かれていました。

 私は動物が好きです。大好きです。小学1,2年生の時に犬を飼ったのがきっかけでそれ以来、動物が本当に好きになりました。特に黒くて純粋な犬の目が好きでフィオナがアザラシと会って目にひきつけられた場面はとても共感できました。だから、動物好きの私にとっては、人間の行為によって動物たちの生命がおびやかされるのはとても許しがたい事なのです。

 人間にとって、今の環境や生活は、とても便利ではなれがたいものですが、それによって動物や植物、地球にもその逆のことをしていて、むしろ危機に追い込んでいます。人間がした事に返ってくればいいと思うのですが動物たちまで巻きぞえにしてしまうのが現実です。一部の人にとっては、動物なんてどうでもいいじゃないかと、そういう考えもあると思います。人間には、動物の存在は邪魔なものかもしれない。けれど、動物からすれば、住み家を壊され、生命をおびかやかす人間の存在こそ、邪魔なものかもしれないのです。私は、時々、私が生きていることで誰かを辛い目にあわせているのではないかと、大袈裟に感じられるけれど、そう思うことがあります。人間が快適に生活できるのは、動物や地球がそのいのちを削ってくれているからなのではないかと思います。

 フィオナの周りには、たくさんの協力者がいたから、島のアザラシたちを救っていけたのです。勇気ある行動だと思います。けれど彼女は、その中での苦悩を曲の中で歌っています。

”海の仲間よ。 あなたの嘆きを聞いたとき わかりあえない人の多さを知りました。
 協力してくれる人もいるけれど、逆にそんな事を知らずにいる人もいたという事に私は、少しショックを  受けました。彼女の曲の歌詞には、彼女の想いや現実がそのまま書き表されていたのだからです。ど んなに頑張っても報われないのは、本当に辛いものだと思います。でも、くじけずあきらめないで頑張 っていくという続きの歌詞に強い意志が感じられました。だから戦いをいどみます。あなたのために善  意の人びとと。そう、海の仲間を愛する人びとと”

 愛しているから、守りたいと思うのです。動物が好きだから、彼らと彼らのいる自然を守りたいと思う、そう感じました。それなのに彼らを傷つけている自然を守りたいと思うのです。悟りを感じてしまいます。けれぢ、一人でも少数でもいることが大切なのだと思います。いつか皆が動物たちを自然を守りたいと思う時がくるまで、頑張っていくのです。地球温暖化などが進む中でそう思う人がだんだんと増えていくと思います。彼らは、優しくて、人間がいても何も言いません。けれど、人間は、彼らを苦しめています。共存していけたら、どんなに楽しいでしょうか。動物や植物、人間が遠からず近からず、同じ世界で生きていく事で例えるなら、友達のような感じだと思います。「育ったところは違うけれど、近くにいて気が合う存在。でも、言葉や行動に出さないと気持ちはわからない」

 人間が動物や植物も人間の住み家を侵しません。互いに均衡を保つことで抑制し合うことも可能になると思います。あくまでも共存は、どちらかが我慢するのではなくて、どちらも同じ気持ちになって生きていく事ではないでしょうか。人種差別とか宗教なども同じだと思います。そんな時が来たら自然とか、動物とか人種とか、そんな分け隔てない平和な世の中が見えてくるのではないでしょうか。
中学校の部 ともしび賞
酪農家の一員として
                                  野田生中2年 長谷川 雅枝
 …一生かけて自然を感じていける…そんな酪農家を、私の家でも営んでいます。斉藤さんの牧場とは広さも違うし、牛の育て方も、エサの作り方だって一緒ではないと思います。でも、牛を育てることに懸ける想い、誇り、自然を愛する気持ちは、同じでしょう。

 「牛だって人間だって恵まれたら環境になってくると、本能的な感性ははどんどん鈍ってくるんだからね。」
なまりまじりの斉藤さんのこの言葉は、何にでも、誰にでも共通すると思います。この比べ方は極端かもしれませんが、例えば、戦争中と今。食べものも遊び方も、もちろん、m周りの環境も一日の過ごし方も、何もかも違います。斉藤さんは若くない。戦争体験者なのだろう。その戦争中の辛く、厳しい時代を生き抜いててきたからこその言葉なのだろう…そう思うと、言葉の重みを感じずにはいられません。

 小さい頃から、毎日のように、山菜や栗を拾っては、家に持ち帰り、お父さんやお母さんにはめてもらっていたという斉藤さんには、今ではもう、「キノコはああいう山の、ああいう風な斜面のどういう本が生えている所に出る。」なんていうように、季節によって変化していく植物、それを取り巻く山のことなら、なんでも分かっていた、一日じゅう山に居るほど、山が大好きだったと言います。

 私の家の周りにも、そこそこの自然があり、広い畑も、街灯が少ないせいか、くっきり見える吸い込まれそうな星空も、土の、草の、牛のにおいも、、ゆったりとした気持ちにさせてくれるのどかな雰囲気も、みんな大好きです。正直言って、牛のことはまだまだ、”好き”とは言えませんが、さわることも、仔牛にミルクをあげることも、今では、普通にできるようになりました。それに、父達が一生懸命そだててくれている牛を嫌いとは言えません。

 実は、私の家も、何百年も前から続いている農家、酪農家、というわけではなく、もう亡くなってしまった、大好きだったひいおじいちゃんがはじめたものだと聞きました。斉藤さんの牧場とおなじように、5頭ぐらいからのスタートだったようで、それから何年かは、試行錯誤の毎日だったのでしょう。ました、牛は生きもの。当たり前だけれど、一日たりとても気が抜けない、寒い日も、暑い日も、やる気が起きない日も、牛たちはエサを求めて鳴いている…そんな”大変”という言葉では表しきれない程の営みを、毎日、何年、何十年も続けてきて、今では、約九十頭の牛が、私達の生活に役立ってくれている。ここまで来るのに、かかった時間、背負った苦労…それはきっと、並大抵のものではないはず。その苦労の結晶は、目に見えるものから、見えないもの、様々なかたちで、私の家にも、斉藤さんの牧場にもあると思います。

 …斉藤牧場を歩けば、誰もがその心地よい雰囲気に充足を感じる。男性は硬い表情をほころばせ、女性は少女に戻って花でも摘みたい気分になる…。そんな牧場を営んでいられること、それがきっと斉藤さんにとっての苦労の結晶なのでしょう。

 同じ酪農家でもそれぞれ違った育て方、信念、生き方があって…それでも目指すもの、根幹となる理念はきっと一緒です。

 おいしい牛乳の出る牛を育てること。そのために、エサの種類や配合割合、量の調節…と、色々なことを試し、そこで、斉藤さんいわく、「牛の声を聞いて」みる、つまり、相手の立場になって考えるということ。これも何にでも当てはまる、大切な姿勢だと思います。だから、斉藤さんの言葉一つ一つに、酪農家の教えの向うに、人として生きていく上で大切なことが詰まっているような気がするのでしょう。

 「…そう言う世界を作ればね、酪農は明るいよ。走り続けて明るいってことないっしょ。休めなかったら明るいとこ見えないっしょ。」
この言葉、なぜかとても胸に響いて、忘れられない言葉です。ただがむしゃらに突っ走れば良い…そんな風に私はおもっていたからかもしれません。これが、この余裕が、斉藤さんの成功の秘訣なのでしょう。

 ゆったりとした時間を牧場で牛たちと過ごす…。山で過ごす…家族と過ごす…、牛が好きで、自然が好きで、広い心を持って…。そんな酪農家、私にもできるかなあ…。
 リンク
文集「読書のよろこび」第43号(2007年11月発行)
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文集「読書のよろこび」第43号(2007年11月発行)
平成19年度読書感想文コンクール入賞作品
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