文集「読書のよろこび」第43号 |
〜平成19年度読書感想文コンクール入賞作品<2>〜 ( )内は、第53回青少年読書感想文全道コンクール特別賞受賞作品 |
2007年11月23日発行 |
※順次、作品を載せていきます。 |
小学校高学年の部 函館新聞社賞 |
「1リットルの涙」を読んで |
上磯小6年 榊 優友 |
「いいじゃないか転んだって、また起き上がればいいんだから。転んだついでに仰向いて、空を見上げてごらん。青い空が、今日もお前の上に限りなく広がって、ほほえんでいるのが見えるだろう。お前は生きてるんだ。」私は、この文がとても気に入りました。 私は、周りから気が強いといわれることがありますが、自分では失敗するとおちこんでしまって、ものごとに対して、あまり前向きではないと思います。でも、そんな私を少し変えてくれたのは、今私がやっている野球です。野球を始めたのは、小学3年生の時です。一つ上の兄がやっていて、楽しそうだったから始めました。 最初は気軽に始めた野球ですが、男の子達と一緒にやっていて話す人もいないし、だんだんつまらないと思うようになりました。しかし、やめるという勇気もなく、なんとなく続けていました。 6年生になってから、ピッチャーをやり始めました。 大会に向けて練習をしていた時のことです。前まではストライクが入っていましたが、ある時、まったく入らなくなりました。自分であせれば、あせるほど思うようにいきません。くやしくて、涙を流した時、かんとくが、『大丈夫、そいういうこともあるよ。』と言ってくれました。そのひと言が私を勇気づけてくれました。そのかんとくの言葉を聞いた時、「いいじゃないか転んだって、また起き上がればいいんだから。」この文章を思い出したのです。 私は、失敗をおそれず前向きにピッチングするようになりました。そして、念願の全道大会で投げることができました。 私は、こういう経験ができたらからこそ今の自分があると思います。こういう経験ができて自信もつきました。 亜矢さんも、どんどん病気が進行し、言語障がいがめだってきたり、歩けなくなってきました。それでも亜矢さんは病気に負けずに頑張っていました。 もし、自分がそのような目にあっていたら今、こんなに強く前向きに生きていけるか、まだ自信はありません。しかし、野球で学んだ勇気や前向きな気持ちを持ち続けていきたいと思います。 私には、夢があります。「看護婦になりたい。」それが小さい頃からの私の夢です。でも、これまで「自分は不器用だしできるわけないかぁ。」と思っていました。しかし、病気で苦しんでいる人を一人でも多く助けたいと思います。その夢の実現に向って、前向きに頑張っていこうと今は思います。 私は、前まで病気の人を見れば、足がすくんでしまって、話しかけたりすることができませんでした。しかし、今はちがいます。なぜかというと、この「一リットルの涙」を読んだからです。 私はいつか絶対、看護師になりたいです。 |
小学校中学年の部 渡島研究会連絡協議会長賞 |
私のウミガメもどっておいでを読んで |
知内小4年 大澤 陸人 |
「この本読んでみないか」 お兄ちゃんにもらったこの本は、お兄ちゃんが小さいころ読んでいた本です。ぼくは、夏にふさわしい本だと思い、さっそく読んでみることにしました。 ウミガメは、海でエサを食べる時、塩水もいっしょにのみこんでしまいます。人間も塩分は、ひかえめにしなければならないのと同じようにカメも塩分をとりすぎると、血液がこくなってしまいます。だから目からよぶんな塩を出しているそうです。ウミガメのお母さんの流すなみだは、ぼくには元気に生まれてきてねという意味があるように感じました。 そして、カメは、たまごを生むと他の動物に食べられないように、あなを砂でうめて海にもどっていくそうです。子ガメが生まれても、もう二度と会うことは、ないのです。頑張って生まれてきたのにお母さんに会えないなんてかわいそうだなあと思いました。ぼくが生まれた時は、みんなよろこんでくれて、お父さんやお母さんが育ててくれたから大きくなれたけど、カメは生まれる時からきけんなど考えて生きていくのですから、とてもりこうです。とてもさびしいカメの世界を知って、ぼくは、人間でよかったなあと思いました。カメとくらべて、食べられる心配もないし、一人で生きていくわけではないからです。 それから、ウミガメも魚のように海でたまごを生んだほうがいいのになあと思いました。それは、 他の動物にいじめられたりしないし、お母さんガメも砂の温度の心配をしなくてもいいし、子ガメに会えるかもしれないからです。海のほうが安全なのにと思いながら読んでいくと、大昔カメは陸にいたもので、そのなごりが今でものこっているそうです。「カメも人間のようにちえがあれば、きけんの少ないところでたまごを生めるのに」とぼくは、思いました。 ぼくは、この本を読んでとてもざんねんなことがありました。それは、海にすてられたビニールぶくろをクラゲとまちがえて食べたカメが死んでしまうということです。そんなカメが一年に百ひきもいるということを知りとてもおどろきました。人間のすてたゴミのせいで大切な命が失われるのは、とても悲しいです。 きょ年とても波が高く、道路にまで波が上ってきたことがありました。その時、道路にはたくさんのゴミが流されてきたのかとびっくりしました。海のゴミ拾いに行ったときもたくさんのゴミを拾いました。このゴミのせいでカメは死んでしまうのです。きっとカメのほかにもこまっている生物がいるかもしれません。だからゴミは、ぜったいすてては、いけないと思います。 今、ぼくたちにできることは、一人一人がルールやマナーを守りみんなが住みやすいかんきょうを作っていくことだと思いました。 |
小学校低学年の部 渡島PTA連合会長賞 |
ハキちゃんの「はっぴょうします」をよんで |
東野小1年 坂本 愛利(優秀賞) |
ハキちゃんは、いつもハキハキげんきなこ。 わたしも、ハキちゃんにまけないくらいげんき!! じゅぎょうちゅうも、あさのかいやぜんこうしゅうかいのときだって、ぜんぜんはずかしがらないで、はっぴょうできる。 でも、ハキちゃんとちがうところ、それは、わたしはなき虫だというところ。ます、わたしは、にゅうがくしきのときにないた。うんどうかいのときも、きんちょうしてないた。ひなんくんれんやふしんしゃたいさくくんれんのときも、こわくてないた。だから、せんせいは、わたしのことを、「ナキむしナキちゃんだ。」といった。ナキちゃんとハキちゃん。にているけど、ぜんぜんちがう。 わたしは、なつやすみ中に、まい日この本をよんだ。かぞえきれないほどよんだ。なんいかいよんでも、おもしろかった。なんかいよんでも、たのしかった。ハキちゃんのクラスは、うちのクラスによくにているとおもった。 あさのかいのようすがにているし、なにかあるとすぐにぎやかになるところもにている。 よねだくんが、カナヘビをブローチみたいに、むねやかたにつけたのがおもしろかった。よねだくんがカナヘビを虫めがねでみて、カナヒベザウルスとよんだのも、たのしかった。 わたしも虫めがねをつかってためしてみた。このあいだ、二ねんせいの大ちゃんたちがつかんでくれたパッタを、虫めがねでみたら、本とうに大きくみえたからびっくりした。 虫めがねでいろいろな虫たちをキョウリュウにしてしまうよねだくんは、すごいとおもった。そして、いつもへんなことばっかりしているよねだくんのいいところを、ハキちゃんはちゃんとみていて、クラスのみんなにおしえてあげて、やさしいなあとおもった。 わたしは、やさしくてげんきなハキちゃんがすき。わたしはいままで、ちょっとやさしさがたりなかったとおもう。だから、ハキちゃんみたいにやさしくなろうとおもう。そして、ナキちゃんは、もうやめようとおもう。 |
中学校の部 渡島学校図書館協議会長賞 |
「我輩は猫である」を読んで |
石別中2年 北見 稜平 |
「吾輩は猫である。名前はまだない。」この一文にひかれ、ぼくはこの本を選びました。 この本を読んだ後、ぼくの頭の中は新発見でいっぱいでした。新しく聞く言葉、話し遣い、その時代の表現がたくさん出てきて最初は内容がよくわかりませんでした。二回、三回と読むうちに、飼い主苦沙弥先生やまわりの人々が話すおもしろおかしい話がわかってきました。 しかし一回目読んだ時ほど、その場の雰囲気を想像するようなことは二回目、三回目にもありませんでした。例えば苦沙弥先生の書斎にはベッドにもなる大机がおいているし、いつも寝ているため、きっと汚い部屋なんだろうとずっと考えていたから、珍野家の朝食では、パンに砂糖を付けたりするので、どんな家族なのだろうかと深く考えてしまいます。 ぼくはいつも本を読むとき、作品のストーリーの方を重要視しながら読みます。しかし今回は断片的な言葉や場面の一つ一つが印象に残りました。なぜだろう、と考えました。なぜいつもどおりストーリーが読み取れないのか、ぼくは一つの結論を出しました。この本ができたのは明治38年、さらにこの本の作者夏目漱石自身は「この本には趣向も構造もなく、登場する猫の気のむくままに筆をとる。」と記しています。ぼくは作者のこの言葉は、全体を見て身構えて読まなくてもいいんだ。断片的な言葉や場面それぞれを楽しめばいいんだ。と語りかけてくれているという結論を出しました。 次にぼくは、明治38年とはどのような時代だったのかをこの本から探し、考えることにしました。ぼくが特に明治時代らしさを感じたのは、水島寒月君が披露する「首縊りの力学」の演説原稿です。おかしな話に聞こえるし、苦沙弥先生、迷亭先生も聞いてはいませんが、これは本当にイギリスの科学雑誌にのった論文をふまえているとのこと。ぼくはこの事実が分かった時、寒月君が本当にまじめでいい人だと思ったと同時に、十九世紀と二十一世紀の科学の差でその演説原稿のおかしさを感じてしまいました。この本では他にも様々な場面で当時と現在の差を手にとるように感じることができました。 この本の魅力、それは会話のやりとりの中での間のよさ、絶妙な合いの手だと思います。 例えば、 「そのはいは間投詞か副詞か、どっちだ。」 「どっちですか、そんな馬鹿げたことはどうでもいいじゃありませんか。」 「いいものか、これが現に国語家の頭脳を支配している大問題だ。」 「あらまあ、猫の鳴き声ですか、いやなことねぇ。だって猫の声は日本語じゃあないじゃありません か。」 苦沙弥先生と細君の会話ですが、ほんの四行の会話で、その場の様子がくっきりと浮かび上がります。それは会話がテンポよく展開されているからなのだろうと思いました。この本は目だけでなく、口でも耳でも楽しむことができると思います。ぼくはこれは江戸言葉に通じるものがあると思いました。本の時代は明治時代だけれども、まだ江戸の文化が残っている時代でもあります。また夏目漱石は東京生まれでこのような文化を肌で感じていたはずです。ぼくはこの会話から、江戸の文化という落語に近い印象を受けました。 先ほどは本の一つ一つ細かい部分が楽しめ耳や口で音を楽しめると思うとかきました。では全体の筋となる主人公を担っている人はどうでしょうか。それは苦沙弥先生でも猫でもなく、水島寒月君だとぼくは思います。なぜなら寒月君の金田家令嬢への恋心が結婚という形で成就するのと、彼の博士号取得がこの本の物語の重要な糸だからです。途中には寒月君が泥棒の犯人と似ているという話も出てきますが、ぼくは彼が陰の主役だと思います。 このような様々な登場人物の色々な出来事を吾輩が見つめることでまとめたのが「吾輩」の一代記であると思います。ぼくは吾輩が秋に生まれて次の年の秋に死んでしまうと推測します。ぼくはこの一年間で吾輩の心が移り変わる。そこが全体を通してのおもしろい点だと思います。時には昔の学者の論を出してみたり、自分の知らない未知の場所に行ってみたり、ただ一つだけ断言できるのは、苦沙弥先生の家に来てから死ぬまで彼を皮肉ることです。特に吾輩の気持ちが鮮明に映った場面、それは死ぬ間際です。ビールに酔ってのあっけない死ですが、彼の中にはにぎやかな談論の後、達観、諦念。彼はこの短い時間の中でとても様々な気もちを表していると思います。それによって読み終えた後、とてもすっきりした「終わりの感覚」に侵っている自分に気が付きました。 ぼくはこの本の百年前とは変わらない魅力を感じられて、充実感に溢れています。 |
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文集「読書のよろこび」第43号 |
平成19年度読書感想文コンクール入賞作品<1> |
平成19年度読書感想文コンクール入賞作品<3> |