〜平成18年度読書感想文コンクール入賞作品<1>〜
( )内は、第53回青少年読書感想文全道コンクール特別賞受賞作品 |
2006年11月23日発行 |
※順次、作品を載せていきます。 |
小学校低学年の部 渡島教育局長賞 |
どんなかんじかわかったよ |
山越小2年 木村 圭吾 |
ぼくは、今までかんそう文を書いたことがない。自分には書けるような気がしなかった。
でも、この本を読んでいるうちに、いつのまにかぼくは、ひろみくんみたいに「どんなかんじかなあ。」っていっしょに目をつぶったり、耳をふさいでみたり、「もしもお父さんやお母さんがいなかったら…。」と考えてみたりしていた。そうしながらぼくは、この本をもう何十回も読んで、いろんなことをかんじた。びょう気のこと、けんこうのこと、お友だちのこと、しんだおじいちゃんのことなんかも。それで、かんそう文を書きたくなった。
この本を読んでいた時、お母さんがおつとめしていたころのお友だちに、口がきけない人がいたと聞いた。その人は頭がよくて、お母さんが思いつかないようなことも考えれる人だったそうだ。ぼくは(すごい。)と思った。
しんだおじいちゃんが小学校の先生をしていたことは前から知っていた。だけど足がわるくて、ぎ足をしていたり、車いすにのったりしていたことは、この前、お母さんから聞いてはじめて知った。おじいちゃんは足がいたくても、ねつが出ても、子どもたちに会いたいから休まないで学校に行っていたと聞いた時、ぼくは(おじいちゃんは本とうにがんばりやさんだったんだ。)と思った。
ぼくはこの本を読むまでは、しょうがいのある人たちは、いつもすごくつらくて大へんだと思っていた。でも、この本の中のお友だちはみんな、ちっともつらいようすをしていなかった。みんな、けんこうなぼくよりふしぎなパワーをもっていた。まりちゃんは目が見えない分、耳をつかっていた。さの君は聞こえない分、目を、ひろ君は体をうごかせない分、頭をつかっていた。りょう親がいないきみちゃんは、心をいっぱいつかっていた。
しょうがいがあっても、しんけんにがんばっているから、パワーが出てつらくないんだ。
ぼくは、ぼくのこのけんこうな体をいっぱいつかって、もっとがんばらなきゃと思った。 |
小学校中学年の部 渡島教育研究所長賞 |
「豚トントンの一生」を読んで |
市渡小4年 島津 美佑 |
かわいいおき物の豚が、自分を見つめるようにしてかがみを見ている表紙でした。そして「豚トントンの一生」と書いてある本で、図書室の本だなにありました。それと、小さな字で「生まれて、育って、そして食べられるまで」と書かれています。どんなことが書かれているのか、きょうみを持ちました。夏休みに読もうとかりたのです。
最初のページに、「いただきます」と「ごちそうさま」の意味が書かれています。「いただきます」は、食べ物の命をありがたくいただくことだそうです。次に「ごちそうさま」は、命を育てたり、料理した人に感しゃする言葉だったのです。わたしは、この本を読むまで、その意味はまったく知りませんでした。これから私が大人になっても、このことはとても大切なことなのでおぼえておきたいです。ここを読んだだけで、私はこの物語がなぜか悲しいお話だと思いましたが、中味を知りたくてなって読んでいきました。
子豚が成長していくために、いろいろなことがありました。豚の中にも人に食べられないで長生きできる豚がいるのです。その豚は「種豚」といってお父さんやお母さんになる豚です。主人公の「トントン」は、太ももが細目だったので種豚になれませんでした。ですからトントンはオスの豚ですが「肉豚」にされてしまったのです。オス豚だと太れないので、チンチンをとられてしまったのです。私はかわいそうだなあと思いました。
「トントン」と言う名前ですが、ここの養豚場の場長さんの子どものユキちゃんがつけました。トントンは、目がくりんとしていてとってもかわいい子豚だったのです。そして人の言葉がずいぶんわかる頭のかしこい子豚だったのでユキちゃんにかわいがってもらったのです。トントンがお肉になる前に、ここの養豚場からつれていかれる時、ユキちゃんがおうちから角ざとうをもってきて口に入れてくれました。お別れのプレゼントだったのです。私のむねがジーンとあつくなりました。そしてなみだが流れてしばらく続きを読めませんでした。
もしも私が豚を選ぶ人ならトントンを種豚にするでしょう。そして、ずっとかわいがってあげたでしょう。たくさんの子豚のお父さんになって幸せにしてあげたかったのです。トントンは生まれかわったら、なぜか、空を飛ぶ鳥になりたいと思っていました。この本を読み終って、私はトントンの気持ちがよくわかりました。そして、わたしは人間に生まれて本当によかったと思いました。トントンのように子豚で生まれてきていたら、きっとお肉にされていたでしょう。
わたしは、この本を読んで食べ物の大切さやありがたさを強く知りました。「いのち」をいただくのですからすききらいをなくしたいと思います。そして、いつもごはん作ってくれるお母さんにも感しゃしていきたいと思いました。 |
小学校高学年の部 渡島支庁教育委員会教育長会長賞(優秀賞) |
「大切な八月」 |
市渡小6年 小原 由紀江 |
八月は私にとって、とても楽しみの多い月です。もちろん学校は夏休みで、友達と遊んだり、海やプールに行ったり、家族と旅行をしたり、そして十八日は私の誕生日なのです。私には、こんなに楽しいことのある八月が、人によっては忘れたくても忘れられない、悲しい月でもあったのです。
八月六日は広島に世界で初めての原子爆弾が落とされ、九月には長崎にも落とされたのです。十五日は終戦記念日、この戦争でたくさんの人が命をなくし、生き残った人の心に深い傷を残したのでした。
私が読んだ「ガラスのうさぎ」という本も戦争について書かれた本でした。いつもにぎやかに楽しく暮らしていた主人公の敏子さんに思いもかけぬことが起きました。この日の東京下町一帯の大空襲、B二十九爆撃機三百三十四機が合計千七百トン以上の爆弾を投下したのです。その下に敏子さんの家がありました。もちろん焼けてしまって、お母さんと妹二人は死んでしまったのです。その焼け跡から出てきたのが、火の熱で焼けてとけてしまったガラスのうさぎでした。もう少しで体が分かれてしまうところでした。ガラスのうさぎは、熱く燃えるなかで、戦争で苦しむ人たちの姿を見ていたにちがいありません。きっと母と二人の妹の最期も見ていたことでしょう。
このことがあって間もないうちに、父が機銃掃射の弾にあたり、亡くなってしまったのです。父だけを頼りににしていた敏子は、やりきれない悲しみに落ちたのです。「お母さんが死んでしまったのに、どうしてお父さんまで死んじゃうの。敏子も一緒に死にたい。」と思ったのも当然のことでした。あとからあとから悲しみの涙が流れおちたことでしょう。この場面を読んでいる私も涙が流れてとまりませんでした。なぜ?どうして?悲しいことが次々と敏子を見舞うのでしょうか。生きる力をうばうようにして…。
東京大空襲で被害者の多くが、体の不自由な女性や老人、そして子供だったのです。死体があちらこちらに横たわり、足がなくなった人、真っ黒に焼けこげた人など、目をおおいたくなったと思います。私は胸がしめつけられるような気持ちで読み進めました。私は頭の中で「信じられない!」と繰り返し繰り返し読んでいました。
そして敏子の言葉「生き残った私は、亡くなった家族の分も生きなくちゃ。どんなことがあっても、みんなのために生きるのだ。」に感動したのです。自分の人生を自分の足で歩き続けるという敏子の強い心と前向きな姿勢に私の心は熱くなりました。そして私は強く思いました。「戦争は絶対にしてはいけない。」のだと…。戦争の悲惨さを世界の人々に伝えていくこと、そしていつまでも「平和」が続いていくことを私は願うのです。この本を読んで、私の「八月」は、日本にとって、とても大切な八月なんだと思いました。
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中学校の部 渡島小中学校長会長賞 |
「ぶらんこ乗り」を読んで。――― |
森中1年 藤田 葵 |
最近、子供が被害に遭う事件が増えていると聞く。実際、ニュースなどを見ていると毎日のようなニュースが流れている。
「ぶらんこ乗り」は、愛情ある登場人物があふれていた。わたしが一番心惹かれた人物は「私」と表記されている。姉である。ひどく人間味があり、少し常人離れした、「天才」の弟との違いが良い。
弟は声が出せない。だから文字で思いを相手に伝えている。わたしの身辺にはそういう人がいないので、あまりピンとこないが、言葉を口で伝えられない、ましてや日常生活でも文字でしか相手に思いを伝えられないんなんて、とても大変なのだろうと思う。この弟はぶらんこ乗りの天才だ。実際、この物語のなかでは、ぶらんごが深く関係してきている。弟が声を失ったのもぶらんこの上だった。それなのに、声をうしなってからぶらんこに乗っていた弟はすごい。ぶらんこの上で、弟は夜な夜な赤い付け鼻をつけて訪れるチンパンジやカンガルーなどの動物の話を聞いて、ノートに物語のように書いている。物語はどこからくるのか。それはわからない。日本の民家に、とつぜんサンショウウオやアルマジロなんかが現れて、しかも人間に話を伝えるなんて、ありえない。でもわたしは思う。弟は嘘を言っていたのではない。きっとすべて真実だったのだ、と。その証拠に弟は、動物園の飼育員しか知らないようなことも沢山ノートに書き残している。弟がこんなことをしていた理由は、姉のためである。「ぼくは、おねえちゃんがよんで、わらうのがすきだった。このよでいちばんすきなこえさ。…」と弟は言って(書いて)いる。姉のことがとても好きなのだ、ということがこの一文だあけでとてもよく判った。
「指の音」、これは弟が飼っている、体の半分にしか体毛の無い犬の名前である。礼儀正しい犬で、餌をもらう時には必ず、軽いおじぎをする。本当にいたら、犬好きのわたしとしては、可愛くてしょうがないと思う。指の音を呼ぶ時は、指を鳴らせばいい。そうすると指の音は嬉しそうに走って来る。弟は指の音を呼ぶのが誰よりも上手だ。動物の話を聞けたり、指の音と誰よりも仲がよかったり、この弟は声を失ってから、さらに特別な力を得て、だんだんと姉たちとはかけ離れた存在になっていってしまったのではないか。そうだとしたら、とても悲しい。弟がサーカスについて考えたことが、現実になってしまったような感じだ。姉がずっと弟を引っ張っていたロープが無くなってしまったような、さびしい気持ちにわたしもなった。
姉は、弟と違って、「普通」という言葉が当てはまるような気がする。弟の書いた物語はつくり話だと思っていたし、両親を一度に失ってしまったときも、感情をあらわにして悲しんでいた。それは、当たり前だと思う。けれど、弟はすべて自分の内に押し定めて、姉のため絶望だってひどいものだったのに。弱いのか強いのかよくわからない。でも、姉はそんな弟にいらいらしながらも気遣い、見守っている。弟もまた、姉を気遣う。わたしも兄弟がいるから判る。兄弟というのは、気遣いなんていらないようだけど、本当はおたがいに、よそよそしい気遣いなんかではなく、とても優しい気遣いをし合っている。相手のことを、見ていないようで、実はちゃんと見ている。兄弟って、そういうものなのではないか。
姉と弟の両親は、飛行機事故で亡くなってしまった。リンゴ大の雹に打たれ、飛行機が墜落してしまったそうだ。弟の声を奪ったのも、雹。雹が、ぶらんこをこいでいた弟の喉に命中してしまった。「おばけのなみだ」という話を弟が姉に読んできかせたすぐ後ろだった。なんて不幸なタイミングなんだろう、と思った。まるで、弟の考えたおばけが本物になってしまったかのようだったからだ。この事件の後、一度だけ弟は声をだした。その声を姉が、「人間の体がこんな音を立てるなんて信じられない」と表現している。どんな声かは想像できないけれど、聞いた人の体調がおかしくなってしまうような声なのだそうだ。そんな声に自分の兄弟がなるなんて、思わなかっただろう。わたしだって思わない。でも、きっと本当につらかったのは弟のほうだと思う。姉や家族に、自分の声のせいで不快な思いをさせてしまった。でも、人のことを思って苦しめるなら、それはその人が優しいという証拠なんだと思う。
初めにも言ったように、弟は天才である。12歳で大学に入学。そして、休暇中に外国に行き、消えてしまった。ぶらんこは、行ったりもどったりをくり返す。弟は世界一のぶらんこ乗り。いつかまたもどってきて、姉と手をつなぐ。姉が弟を信じているかぎり。わたしは思う。人と人が信じ合えれば、おたがいに優しい気持ちのまま暮らせるのに、と。 |
リンク |
文集「読書のよろこび」第43号(2007年11月発行)
平成19年度読書感想文コンクール入賞作品<1> |
文集「読書のよろこび」第43号
平成19年度読書感想文コンクール入賞作品<2> |
文集「読書のよろこび」第43号
平成19年度読書感想文コンクール入賞作品<3> |
文集「読書のよろこび」第43号(2006年11月発行)
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